いつもの旅行であれば早朝はクロスバイクでポタリングするのですが
今回は飛行機で長崎まで来たもんで自転車を運ばなかったので、散歩することにしてみました。
コースを考え始めた頃は、風頭公園の龍馬像を見て帰ってくるだけだったのですが、調べていくうちに
龍馬が関わった場所が、いっぱいあることがわかったので、2時間の濃い散歩になってしまいました。
この日も降水確率100%ですが、降りそうで降らない空を眺めながらホテルを6時にしゅっぱーつ!
大河ドラマ『龍馬伝』 を見て、この辺りのことを知ったので【】にはキャストを追加してみました。

まずは、西浜町アーケード前電停にある
土佐商会跡土佐藩の貿易関係の長崎出張所で後藤象二郎【青木崇高】・岩崎弥太郎【香川照之】が
主任を歴任し海援隊の隊員に月々金5両も支給していたそうです。
その隣には龍馬【福山雅治】らが
「船中八策」 を考案したときに
乗船していた
夕顔丸 があります。

そこから東へ徒歩4分の浜町アーケードの2本北の通りにあるのが
清風亭跡土佐勤王党の武市半平太【大森南朋】に切腹を申しつけた土佐藩参政・
後藤象二郎と武市の親友で土佐藩を脱藩した坂本龍馬が会談した場所。
会談ではお互いの思想をわかりあい意気投合し、山内容堂【近藤正臣】に大政奉還を
建白させるきっかけの場になりました。つまり、歴史を変えた場所と言ってもいいかもしれません。
しかも、その会談にはお元【蒼井優】も同席していたそうです。

そこから更に東へ徒歩4分にある
晧台寺(こうだいじ) と大音寺の間の
幣振坂(へいふりざか) を上がって、階段も上がって、まだなのかなぁと諦めかけた頃にあるのが
シーボルトの奥さん・楠本瀧 と娘・イネのお墓

瀧(左) と 日本で最初の女医の イネ(右)

振り返ると結構な高台まで来ていて、向かいは昨夜、
夜景を見た稲佐山次は
晧台寺のホームページ のお墓マップを頼りに
同じ晧台寺の裏山にある小曽根家のお墓に向かいます。
この細い通路は通っていいのか?
行き止まりや!
違うお墓に来てしまった!
と迷いながらもなんとか到着!

亀山社中の出資者が小曽根乾堂【本田博太郎】で、その小曽根家の墓地内
にあるのが、饅頭屋長次郎こと
近藤長次郎【大泉洋】
のお墓 です。
この文字は龍馬の筆とも言われているそうです。
長次郎が切腹させられたシーンは可哀そうでしたね。
写真はこの後行く龍馬通りにあるものです。

晧台寺から眼鏡橋に向かう途中で偶然見つけたのが
上野彦馬【テリー伊藤】
生誕之地あの有名な龍馬の肖像を撮ったと言われています。

昨夜も来ましたけど
眼鏡橋今日はより眼鏡っぽい!

昨夜見つけた
ハートストーン 
はどこでしょう?

そこからちょっと右にあるはっきりとわかる
ハートストーン 
次は、また東へ折り返して、
インゲン豆の渡来の地 に向かいます。
旅レコ
でのルートはこんな感じです。全ルートは
後編 にて。
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